浜崎祇園用語辞典
は行


(ハシ) 左流れの橋
 山笠飾りの一種で、基本的には槍出しから槍出しに架ける。
 左流れと右流れがあり、槍出しをつなぐ流れを作る。橋の終わった点と次の橋の始まる点が上手く重なっていると良いといわれる。

柱隠し(ハシラカクシ)
 山笠飾りのうち、柱を隠すために使うものの総称。
 屋形、木の幹のような柄を描いた板、竹の枠に紙を張って描いた木等を指す。また、岩や水のように模様を入れた紙を巻きつけることもある。

走り山(ハシリヤマ)
 浜崎の山笠は、一時期低くなったことがあった。写真館の昭和三十年代のものがこれにあたる。この頃は小さく軽い山笠をゆっくり曳いていても面白みがなかったためか、運行速度が速くなり走って曳いていた。この時期の運行形態を指して「走り山になった」等と言われることがある。

 この時期は運行区間が昔のままだとすぐに終わってしまうので、経路を変えて長い区間曳いていた。それまで山笠が通らなかった所に住んでいた人は喜んだが、この運行形態では浜崎の山笠ではないという意見が多く、電線を高くして元に近い高さで曳くようになり、運行区間も曳く速さも元に戻った。

法被(ハッピ)
 山笠を運行する際に着る衣装のこと。

 昔は毎年違うものを使っており、町内三軒の呉服屋が柄を各組に持って行き入札して決めていた。
 近年は地区ごとに統一されたものを使っているが、同学年や囃子方内だけで別に統一したものを使い、結束を図ることもある。
 根取りがこれを脱ぐのは、汗で非常に動きにくくなるため、また緊急時にまわしを引き上げて助けるための処置である。

(ハナ)
 囃子方の乗る場所の中で、正面三人分のの席を言う。
 この場所の「真ん中に乗るのは相撲の横綱と同じ」と言われた言葉は、腕が衰えたからといって下の地位で山笠に乗り続けることができず、その場所に見合う腕が無くなったら引退するしかないという立場上のことを言う。

浜崎くんち
(ハマサキクンチ)
行列と獅子
子供が獅子に噛んでもらうと元気に育つと言われています。
行列にお賽銭
沿道の人は、桶にお賽銭を入れます。
稚児行列
稚児行列が神輿の乗った台車を曳きます。
神輿と神主
神輿の前には神主が座っています。
 諏訪神社の秋の大祭のこと。毎年11月末に行われる。

 くんちとは「供日」と書くように収穫した作物を神様に供え感謝する祭であり、秋祭りである。「くんち」を神社の年中行事の一つではなく、年間を通じてのものと考えているような地域の人には、浜崎祇園祭と混同されていることもある。

 通常この行事は「お稚児さん」等と呼ばれている。その呼ばれ方のとおり稚児行列が神輿を乗せた山車を曳き、お旅所までの御神幸を行う。お旅所では甘酒などが振舞われる。

 また、周辺地域のくんちと同じく、これに赤獅子と青獅子(緑色)が加わる。子供がこの獅子に頭を噛んでもらうと健康に育つと言われており、通りにいる子供たちを噛みながら歩いていく。

 秋の大祭は、夏の大祭、つまり祇園祭と比べると規模が小さくあまり知られておらず、観光客が来るような祭りでもない。「浜崎くんち」という名前も、唐津のかんねさんが「こえをかけた」という話でしか聞いたことがない人も多いかもしれない。
 昔はもっと盛大に、祇園祭のように料理や酒も振舞われていたらしいが、一年に二回それをやるのは金銭的に負担が大きすぎるため、現在では祇園祭の方だけが盛大にされている。

浜崎人形(ハマサキニンギョウ)
 浜崎の山笠には、昔は浜崎で製作されていた人形を使っていた。この浜崎で製作されたものを浜崎人形と言い、頭部はいくつも保存されている。現在飾っている人形の中には、これを塗り替えて使っているものもある。

 体は木に縄を幾重にも巻いて太さを出したものに服が着せられており、非常に重かったという。「生き人形」という類の、誇張などせず実際の生きた人間に似せることを追求する作りのものだった。

 現在は博多の人形師さんが製作したものを使用しているが、その前は直方、その前が東唐津で製作されたものを使っていた。さらにその前が浜崎人形で、それからはるかに遡れば、山笠行事が始まった当初は博多の飾りをそのまま貰い受けて飾っていたらしいので、博多の人形が乗っていたのかもしれない。

 年寄り曰く、これら各地の人形のなかで、馬だけは浜崎のものが間違いなく一番だった、と思うそうである。
浜崎の義経
浜崎人形の源義経
直方の義経
直方人形の源義経
博多の義経
博多人形の源義経

囃子(ハヤシ)
 山笠に伴う音楽。浜崎では三味線太鼓で演奏される。
曲は東組では「祇園囃子」「」「道囃子」「松囃子」「襖開」「寅市」「団車二上リ寅市)」「段櫃」「法螺ノ梅」「獅子」「東府屋」「伊万里甚太夫」「猩々」の十三曲。各組で表記、節回し、のつけ方、笛の音の高さ等が異なる。
 
 現在の浜崎の囃子は、金銭的なことや身の危険を分担するため、浜崎のほかいくつかの村の祭と合同で囃子を収集したものが始まりらしい。囃子を習った先は、遠方の舞台芸能等からと言われ、「洒」の由来などからもそれが読み取れる。「当初」というのが山笠行事が始まると同時なのか少し遅れてなのかはよくわからないが、囃子を合同で収集した理由から、旅をするということがそれぐらいの危険が伴う時代であったことは確かだろう。
当初からあったと言われる囃子は「祇園囃子」「洒」「道囃子」「松囃子」「襖開」「寅市」。鏡や宇木等ではこれらの囃子が共通し伝わっており、当初一緒に囃子を収集した地区ではないか、と推定できる。
 当初の囃子の収集は「今の囃子ではあまりパッとしないから」ということで発起されたもので、それ以前にもそれぞれ囃子を持っていた、という説もある。ただし、その頃の囃子は現在残っているものには含まれていないらしい。

 浜崎の竹紙を張る指穴が六つの「民笛」だが、一般には幕末頃に竹紙を張らず指穴が七つの「清笛」が日本に持ち込まれると、民笛にとってかわったらしい。浜崎が今でも「明笛」を使用していることを考えれば、それ以前に現在の囃子が成立していたのではないかという推測もできる。

囃子方(ハヤシカタ)
 囃子を演奏する者のこと。運行中は山笠に乗り込む。
 浜崎では三味線太鼓で構成される。山笠には、太鼓と鐘が1人ずつ、三味線が3〜4人、笛が9〜8人分ほどが乗る定席があり、その席に乗りきれない者は内側に乗ることもある。

火ぃ被る(ヒィカブル)
 喪中にあることを意味する言葉で、これにあたる人は山笠運行に参加できない。「火ば被る」、「火を被る」とも言う。
通常、身内の初盆を迎えるときまでがこれに当たるが、前年葬儀等で参加できず二年続けてになる場合などは参加が許されることもある。また、死亡した者から生前「祇園に出てもいい」という許しを得ていた者や「祇園に出なければ祟るぞ」と脅されていた者が参加することもある。
続柄が離れている場合や、別居していた場合も規制が緩い。

ピーツー(ピーツー)
 「」で、曲がり角や大まぎりで旋回を始めるときに加える変化のことで、そこから速く囃す。この瞬間を上手く合わせることが出来れば格好が良いが、山笠を一定の速度で運行してもらうことと、太鼓の腕前にかかっているので、毎回必ず合うというわけにはいかない。

曳き方(ヒキカタ)
 につき山笠を曳く者のこと。進行方向に背を向け、山笠を見ながら曳くのが作法である。

曳き山(ヒキヤマ)
 浜崎の山笠は、車輪がついたものを曳いて運行するので「曳き山」である。
こういうふうに、運行の形態を他所の人等に説明するときには「曳き山」という言葉を使うが、普段自分達で山笠のことを「曳き山」と呼ぶことは全くない。
 現在、浜崎祇園祭の式典が行われているのは「ひきやま公園」だが、「ひきやま」という名称に馴染めない者も多い。

(ヘイ) 左右の塀
 山笠飾り屋形の一種。
 小さい平面的な屋形で、大きな屋形の両脇に据えて見た目を安定させたり、小さな屋形の横幅を広めたりと、補助的な使い方をする。

(フエ) 東組の笛
 囃子の主旋律を演奏する楽器、またそれを演奏する者のこと。
 浜崎の笛は、女竹(「めだけ」、または「おなごだけ」)を使用して作られている。実際に演奏するための部分は一つの節の間に収まっていて、竹紙を収納しておく部分に使うために少し節から元までとってある。音が変わるから塗料などを塗ってはいけないと言われているため、竹そのままの色で素朴な作りとなっている。

 構造は、まず息を入れる穴があり、次に竹紙を張る穴がある。これは「民笛」という種類の笛にみられる特徴らしい。
その後指で押さえる穴が左手人差し指、中指、薬指、右手人差し指、中指、薬指の六つあり、この指の押さえと、甲の音乙の音二種類の使い分けで演奏する。基本的には右手の中し指を常に押さえたままにするが、右手の中指を上げなければならない場合には人差し指を残す。
指で押さえる穴の次には後に「よだれ抜き」と呼ばれる二つ横に並んだ穴があるが、実際にここからよだれを抜くことは無く、指を全部押さえたときの音を調整するためにある。そして長さがあまっている場合は飾り穴と呼ばれる穴があいているが、これは本当に飾りであって空いていても空いていなくても特段の違いは無い。

 笛の長さ、穴の開いている間隔は三区で異なり、これにより音階も異なる。製作は各地区の囃子方が行い、囃子方として登録するものに貸し出しという形をとる。長年囃子方を務めたものはそのまま所有物とすることもあるが、自分で作ったもの(当然自分の所有物となる)を吹くようになって一人前とする考え方もある。非売品。

吹き出し(フキダシ)
 囃子で、が一人先行して吹く部分、またはそこを吹くこと。
 その囃子によってどこまでというのが決まっていて、囃子によって、またその地区によっては吹き出しで演奏されない節もある。
 一人で吹くため当然実力が上のものでなければならず、笛を習う者はこれをかっこ良くこなすのを目標とするところ。

法螺ノ梅(ホラノンメ)
 囃子の曲名。道行の囃子で、比較的新しい囃子らしい。「ホラノメ」と発音されることも多い。

 「法螺」とは嘘や大言の方の法螺で、「梅」は梅○○という人物の頭の文字、つまり「法螺吹きの梅○○」という意味であるという。
それが実在の人物か架空の人物かはわからないが、その人物についての同名の舞台芸能の演目があり、そこから持ってきた曲らしい。
 当初から、囃子を習った際には、元の方にその囃子を止めるよう頼んでいたというが、この「法螺ノ梅」の場合は演目が不人気で、それを機会に演目自体を止めてしまったらしい。

 法螺貝で演奏された曲かと考える者もいるようだが、この曲を法螺貝で演奏するのは無理だろう。


辞典目次へ