浜崎祇園用語辞典
さ行


(サラシ)
 囃子の曲名。当初からあったとされる囃子の一つで、道行の囃子。曲がり角や大まぎり、最後に山笠をおさめるときに囃され、山笠の運行に参加しない人でもほぼ全ての人がこの曲だけは知っている、というような曲。

 元は舞台で「幕を洒う(あらう)」ときに囃された「さらし」と呼ばれる曲で、この「洒う」という字を当て字として「さらし」と読むことにされた。このことから、元の「さらし」という呼び名には漢字表記が無かったらしい。
 「幕を洒う」というのは「全てをきれいに終わらせる」ことを意味する言葉で、意味としては「千秋楽を迎える」が近いらしい。「まくをあらう」とは言っても、このとき実際に幕を洗濯することなどはない。
濱組では「幕を洒う」の言葉が「幕を洒す(さらす)」と異なるが、おおむね同様の話があるらしい。

 この「洒」には歌詞があったという説も極々一部にあったらしい。由来から考えれば有り得ない話ではないが、そんなものは無いという者も多い。

 この曲は、山笠が曲がり始める瞬間に曲の始まりをあわせるようにし、「ピーツー」と呼ばれる変化を加える。
 また、山笠を止めて最後に綱を収めるときには曲の前半が違うものを囃す。これは便宜上「綱手繰り」と呼ばれているが、正式名称ではない。

獅子(シシ)
 囃子の曲名。座り山の囃子で、比較的新しい囃子。
 獅子舞の獅子が、蝶々をゆっくり追ってじゃれている様を表した曲と言われている。昔は、同じ浜玉町の平原地区今坂から祇園を見物に来た者が、よく「獅子」を囃すよう所望していたという話がある。ここには山笠は出ないが祇園さんがあるそうで、その関係から習ってきた囃子であるかもしれないということである。

 浜崎ではこれが最も長い囃子で、節が覚えにくく、息の長さも必要とされる。このため、「獅子」を上手く囃せるかどうかが、腕前を測る一つの目安にされることもある。
 またこの曲は繰り返して囃すことは無いが、長いから時間の都合でという理由ではなく、元々そういう決まりの囃子なのだという。

 東組の「獅子」と西組、濱組のものでは甲の音乙の音が逆になっている部分がある。これは東組による改変のためで、以前は改変後のものの後に改変前のものを続けて囃して伝えていたらしい。しかし、現在は改変後のものだけが残っている。

飛沫(シブキ) 船前方の飛沫
 山笠飾りの一つで、水に入った人形の足元や、船の先等に配置する。

 昭和五十七年には、試しにの各所につけられたこともあったが、評判が良くなかったのか定着しなかった。

四本柱(シホンバシラ)
 山笠の柱は、現在前に二本と後ろに三本で合計五本あるが、昔は四隅の四本だった。そのため五本ある今でも、五本柱と呼ばず四本柱と呼ぶ人もいる。昔四本だったという理由のほか、「四本柱」ということに何らかの意味があるのではないかともいわれるが、詳細は不明。

地山(ジヤマ) 平成十六年東区地山
 飾りを付ける前の段階の、骨組みの状態の山笠のこと。何をどう飾るかは、この段階である程度計算しておかなければならない。

 飾った後はこの木材が見えないようにし、またどこに柱や棒があるか想像もしにくいように飾るのが良いとされる。

三味線(シャミセン)
 囃子の伴奏を演奏する楽器、またそれを演奏する者のこと。
 浜崎の囃子では、三味線の一番低い音の糸の、指を離したときの音と、の指を全てふさいだ乙の音、つまりそれぞれの一番低い音をあわせ、それを基準に「二上り」の調律をして演奏する。

猩々(ショウジョウ)
 囃子の曲名。座り山の囃子で、一番新しい囃子であるらしい。

 これは東組(大江)の囃子方の一人が、濱組や西組が新しい囃子を取り入れているので自分達もと提案、それならばどこからか良い囃子を見つけて習って来いという話になった。
 そして彼が皆を集めて新しい囃子をして聴かせたが、どこに習いに行ったらいいかわからなかったので自分で作ったと言うので、それはできないと反対された。これは、地区同士で習う立場と教える立場、上下関係になるのが良くないという理由からである。
また、東には速い曲が無いので速くした、長く作れなかったので短くなった等、東組の囃子方にとって受け入れがたい部分が多かったので、その意味でも反対された。
 このとき、こんな囃子はできないという意味で、「ヒョコヒョコして猿回しの猿のようじゃないか」という旨の文句を言われたのだが、それを批判として聞いていなかった作曲者は後日「辞書で見たら昔は猿のことを猩々と言っていたというので」と言ってこの曲に「猩々」という名前をつけ、周囲を押し切って囃すことにした。
 こういういきさつであったため、三味線については腕の劣るものにしか作曲を頼めず、太鼓については断られたため、その笛の者が自分で作ったという。
これらのことから曲の評判は悪く、作曲者が居た頃はよく座り山で囃していたというが、彼の死後は囃すことはなくなった。
その後しばらくして、せっかく作ったので東の囃子に合うように改変して囃そうかという話になったが、結局うまく東の囃子にはならず、また根強い反対もあったため、現在も囃されることはない。
 西組は作曲者の子孫が移り住んだ関係で、改変が東組より少ないため、こちらの方が原曲に近いという。

車輪(シャリン)
 山笠の車輪。これに心棒を通して運行する。輪切りにした太い松の芯に穴を開けて作る。
 この車輪の外周は木そのままなので、使い込んだものは磨耗により一見してわかるほど小さくなっている。天秤がきいていると真ん中の車輪の磨耗が激しく、車輪の場所をたまに入れ換えなければ天秤がきかなくなる。
 磨耗を防ぐため近隣の祭りにならって金属の輪をはめたことがあったが、耐え切れずすぐに切れてしまったという。現在は別の化学繊維で周囲を巻くことも試されているが、湿気による伸縮で亀裂が入る場合もあり、不評。

心棒(シンボウ) 折れた心棒交換中
 山笠車輪に通す棒。これが折れたり反ったりすると車輪が回らなくなり、運行しにくくなる。樫の木でできており太く強いが、一年に数本交換する消耗品である。天秤のため、真ん中の心棒への負担が強く、破損しやすい。
 以前は廃油を塗っていたが、現在は道路を汚すとか頻繁に塗る必要があり手間がかかるという理由から、グリスを塗っている。便利ではあるが、軋む音は廃油の方がよかったと懐かしむ声もある。

据え切り(スエギリ)
 山笠を前後には動かさず、方向だけを変えること。天秤がきいていないような場合は、非常な労力が要る。

杉の葉(スギノハ) 山笠側面
 山笠外題を書く燈籠の高さには、杉の枝葉を並べ、割った竹で挟んで組み、その間に×の字に竹を並べてはめこんだものを取り付けてある。この組んだもの全体を「杉の葉」と呼ぶ。
 これの準備は、高いところが駄目な人、または上での作業を引退した人の仕事になることが多い。

杉玉(スギダマ) 杉玉
 杉の葉山笠の周囲に取り付けた四方の角には、杉の枝葉を束ねたものを取り付ける。これを「杉玉」と呼ぶ。
 道が狭く山笠が家にぶつかる可能性の高かった頃には、本格的な衝突となる前の余裕の部分、緩衝材としての意味もあったらしい。

すけ岩(スケイワ) 通常のすけ岩、右
通常のすけ岩

波のすけ岩、左
波のすけ岩
 槍出しの前と左右を囲む四角の形に、底板の付いた。槍出しにすける岩という意味だろう。ここで「すける」というのは方言で、何かの下に敷いて置くことを言う。

 すけ岩には左右の区別、大小がある。海の場面の外題で船を乗せる場合には波模様に貼り替えられることもあるが、形はそのままである。

須賀神社(スガジンジャ)
 諏訪神社内にある、祇園社のこと。祇園祭が奉納される神社。

諏訪神社(スワジンジャ) 諏訪神社
 浜玉町西区にある神社。「お諏訪さん」と呼ばれており、マムシ除けの砂でも知られる。名護屋に向かう途中、豊臣秀吉が参拝したこともあるらしい。
 本殿左から奥に行くと祇園山笠行事を奉納する祇園社須賀神社)がある。また右方向には護国社もある。
 主な行事は春の大祭、夏の大祭(浜崎祇園祭)、秋の大祭(浜崎くんち)等。

座り山(スワリヤマ)
 山笠が運行の合間に止まっている状態のこと。
道行の反対で、それぞれで囃す囃子が決まっていおり、この座り山のときに囃す種類の囃子を総称して「座り山」と呼ぶこともある。また、座り山の囃子を囃すことを指して「座り山ばする」と言う事もある。

袖屋形(ソデヤカタ)
 屋形の横に添える屋形。と呼ばれる屋形が使われることが多いが、普通の大きさの屋形を袖屋形として使うこともある。


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